日記

人にタグを付けること。

この人は自分とおそらく同世代。男性。ゲームが好き。お酒が好き。仕事はIT関係。

この人も自分と同世代。男性。中学の頃からの友人。たぶん気が合う。賢くはないが、ユーモアはある。メガネを掛けている。

この人は自分よりも10歳くらい若い。女性。出かけるのが好き。よく食べる。好きなバンドはUVERworld。

この人は自分よりもひと回り年をとっている。女性。英語が話せる。公私ともに全力で取り組んでいる。ときにTwitterでよくわからないことをつぶやく。

この人は自分よりも35歳くらい年上。男性。そして父。昔タバコを吸っていたが、今はもう辞めている。たぶん先はそう長くない。

人にはタグ付けできる要素がたくさんある。年齢や性別、職業、性格、健康状態、自分との関連性など、その人を表すものがあれば人は人に対してタグを付けるのだと思う。

タグを付けることによって、その人の行動を理解しやすくなる。例えば、ゲームが好きな友人が新しいゲームを買ったという話を聞くと、やはりこの人はゲームが好きなんだという納得感がある。同時にその人のことがより理解できているように思うのかもしれない。その逆に、全くゲームをやらなくなったと聞けば、何かあったのではと心配になり理由を聞いたり、あれこれ勘ぐったりする。私達はタグ付けをすることによって、自分なりの相手への理解を深める作業を日々繰り返しているように思う。

このタグが役に立ちそうで役にな立たなそうなときもある。「そう」という言葉を繰り返しているのは、自分でもどちらかよくわかっていないからだ。

相手の言動が自分が予期しないものであったときに、今までその人につけたタグと照らし合わせて、一体何がその違和感の原因かと考えることがある。違和感というのは自分がつけたタグと比較して生まれのではなくて、もっと直感的に見たり聞いたりした瞬間に覚えることのほうが多いと思う。

違和感の解消のためにできることはふたつあって、ひとつはその相手になぜそんな言動をしたのか聞くこと、もうひとつは自分が過去に付けたタグを再度確認して何らかの手がかりを探すことだ。

私はどちらかというと直接聞くことが苦手だ。なぜかはわからない。たぶん相手からその真意を聞くのが怖いとか、わかって当然と思われる事柄を聞いて相手を失望させたくないとか、そんなあたりだと思う。そうすると、頼るのは自分が過去に相手に付けたタグになる。気分屋というタグを付けているから今回の行動はそのせいなのかと考えたり、他にも思い当たるタグがあったか記憶をたどることが多い。記憶をたどること自体は悪くはないと思うが、いつしか記憶をたどるだけではなく、そのタグから予想される属性をその人に付与してしまうことがある。例えば高齢というタグから、記憶力の低下で前回と全く異なることを言っていたのかとか、女性というタグから不機嫌なのは生理周期の関連なのかと考えたりもする。全く的外れということもないだろうが、一般原則が必ずしも個別に適用されるとも限らず、おそらくそんなだろうと当たりをつけて、ざっくりと決めつけて考えないようにすることのほうが多い。精神衛生上はそのほうがおそらく良いのだろうとは思うが、振り返ってみるとたくさんのことをうやむやというか曖昧に片付けて来たなと思う。それが良いのか悪いのかはわからない。

私は32歳。男性。無職。好きな食べ物はトマトとイチゴ。寒いよりは暑いほうが好き。静岡県出身。最近筋トレをしている。

ふと、他人は自分にどんなタグを付けているのかなと考えることがある。何を思われてもいいんだけどなんとなく。

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