日記

TikTokのように楽に無思考状態になれるツールに依存しつつある。

娯楽と呼ばれるものは大抵そうなのかもしれないが、それに熱中しているときには、他のことは何も考えられなくなる。娯楽だけではなく、習慣的に行っていること、例えば水泳やジョギング、筋トレ、スポーツなんかでも、それに集中していれば他のことを考えることはない。考えるための脳の資源をそれらに費やすことによって別の問題について考える余地がなくなる。

私の場合だとインターネット配信がその娯楽にあたる。何度か配信中には話しているが、配信は楽しいとか面白いというのもあるのだが、続けられているのは実世界で起きている余計なことから目をそらすための現実逃避のツールとして機能しているからだ。ゲームの配信をしていて、そのゲームと配信だけに集中していれば翌日の仕事やプライベートの細々としたことに気を病むことがなくなる。

ここ最近の配信のモチベーションが過去の最高潮だったときに比べて低いのは、逃避する原因となっていたものが消えたからだと思う。それほどハードな働き方を前職でしていたわけではなかったが、それでもそれなりのストレスがあり、その逃避としては配信はもってこいだった。一般的に考えれば、むしろ無職の今のほうが切迫感というか追い詰められているように見えるかもしれないが、それほどメンタル的に問題を抱えているようには感じていない。少なくとも現時点の認識としてはだが。

 

今までは、余暇の時間に考えたくないことを考えてしまう問題があり、その対策としてなにか熱中するものに打ち込むようにしていたが、最近は別の問題を抱えつつある。

会社を退職して自由な時間が以前に比べてかなり伸びた。在職時に比べて一日あたり10時間くらいは自由な時間が増え、その一部は睡眠や運動に補填している。それらは、肉体的にも精神的にも良いことなのだが、それでもまだ時間が余る。余った時間は自由なのだから何をしてもいいのだが、何もしないというのは案外苦痛だとわかった。空調の効いた快適な部屋で、セミダブルの心地よいマットレスに寝っ転がってでさえ、時間がただ過ぎるのを待ち続けるのは困難だ。考えなくてもいいような、ささいな問題や不安なんかが頭をちらつき続けて快適でない。

かと言って何か心の底から熱中するような、時間の流れを早く感じさせるような趣味もないので、時間の消耗のさせかたには最初は苦労した。だがすぐにそれを解決するものは見つかった。

スマートフォンだ。スマートフォンには娯楽アプリケーションやインターネットブラウジング、ゲームなど時間を潰すためのツールが山ほどある。

いろんなことを試してみたが、インターネットブラウジングは多少自分自身の関心のあることを調べるので、現実世界とときにリンクして余計なこと(不安にさせるようなことや将来的な問題)に行き着くことがあり、不快な気分になることもあり長くは続かない。それにブラウジングというのは選択の連続で、自分の意志で画面をタップしないと次に進まず、ぼーっと見ているだけでは続けられないのでそれなりの労力を要する。選択と決定は脳に負荷がかかるように感じる。

より負荷が小さい活動はゲームだ。どんなゲームでも選択と決定というプロセスは生じるが、それらはどちらかというと単純にどの選択が最適かを考えるだけだ。インターネットブラウジングに比べて、自分の価値観に従って、主体的に次に何をしたいのかを考える必要性はずっと少ない。そのため、ゲームは無思考状態になるためにはインターネットブラウジングに比べて楽だし、優れているように感じる。

それよりも、もっと中毒性が高くて負荷が小さいのはYouTubeだ。動画は一度クリックすればあとは勝手に流れ続け、こちらはそれを見続けるだけだ。大抵のおすすめに出てくるような動画は、非常に良い作りでできていて、かつ、こちらの欲しているものマッチしているので、飽ずにその動画を楽しむことができる。意志としての選択も、最適化のための選択もせずに、おすすめされた動画をクリックするだけで、無心状態に入れる。YouTubeを見る時間も前に比べて伸びた。

 

更に強力なのは、TikTokというアプリケーションだ。いやいやTikTokは10代の若手が楽しむもので、30過ぎたおっさんがハマるようなものじゃないでしょ、とそう思うかもしれない。私もそう思っていた。最初は面白くないネタ動画や、スーパープレイ的なもの、チャンネーが踊っているものなど、どれも質はYouTubeに比べて高くないしアンインストールも時間の問題かなと感じていた。

だが、時間があるときに見ているとTikTokは無限に見ていられる。なぜならTikTokには選択の必要性が一切なく、ただフリックするだけで見続けることができるからだ。脳への負担はほぼ0だと思う。もちろん意識的に自分が好きなチャンネルやタグを検索することはできるが、それをしなくともYouTubeと同様に過去の自分の視聴履歴、視聴維持時間(どのような種類の動画に興味を持っているのか判断するための指標となる)をもとに自分にとって最適だと思われるコンテンツを提供し続けてくる。

そして、その動画の自動選択の塩梅も非常に良くできている。例えばチャンネーがけつを振っている動画ばかり完走して全部視聴していたとしても、フリックしたらチャンネーだけが次の動画として選ばれるわけではない。それ以外のコンテンツも絶妙な頻度で混ぜてくるのだ。このあたりの依存については学術的なサルの実験を通してわかったアルゴリズムに基づいているのか極めて高い依存性を実現させている。別にその動画見たいと思っていたわけではないのに、急にふっと画面に出てくると、偶然性も相まって(もちろん偶然ではないのだが)、興味がない動画も新鮮な気持ちで視聴できる。一本一本の動画も短く、飽きさせない技術がTikTokには詰まっているのだと思う。

無思考状態でこの手の動画を死ぬまで見続けてもいいのかなとも思ったりもするんだけど、やっぱりダメなんじゃないかと最近思い直した。端的に言って頭が悪くなりそうだ。別に頭が悪くなっても問題ないし、むしろこの先のことを考えれば悪ければ悪いほど幸せになれそうだとすら思うんだけど、高等なホモサピエンスとしての私が最後の砦となって、この生活スタイルにノーと言っている。

ブログの更新頻度が上がりつつあるのは、その時間が取り戻されつつあるからだ。意識の高さは波のよう変動し、ある程度下がれば上がり、上がれば下がるを繰り返しているので、またちょっとしたら無表情でTikTokや他のツールに頼っているかもしれない。更新頻度が下がったらそういうことだと思うので、皆さんの監視に期待。

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