日記

お金がたくさんあれば良いってこともないとか言ったけど。

社会人になってからずっと貯金が増え続けていた。収入が平均よりも高いということはあったが、何より自分の場合は支出が少ないおかげで貯まっていった。あらゆる本の中で最も読んでいて面白いのは自分の貯金通帳だと、どこかの富豪が言っていたが、たしかに数字が増えていくのは見ていて気分がいい。いつまでにいくら貯めるなんて目標を立てたことはないが、桁が変わる瞬間は達成感がある。

100万円を超えたのは大学生の頃だった。今と変わらず当時も金の使い方を知らずに、バイト代で貯金がどんどん増えていった。社会参加とただの暇つぶしでバイトをしていたので、そのお金で何をしようなど考えたこともなかった。いくら貯まっているのかなんて気にしたことはなかったが、100万円を超えたときには、家族に自慢したような気がする。今思えば大した額ではないのだが、それでも1年と少しの期間を経て稼いだ時間の重みを感じていたのだろう。

1,000万円を超えたのは26歳くらいだったと思う。その当時は羽振りのよい外資系の会社で働いていたので、平均よりも早く貯金が増えた。ネットバンクの数字を定期的に見ていたが、1,000万円が近づくとワクワクしたのを覚えている。1,000万円を超えたときには、100万円のときよりも達成感があった。金額というよりは、100万円のときと同様にそれまでかかった時間を振り返り、そこに金額の重みを感じていた。実に5年くらいかかったわけだ。決して短くない。

しかしながら、次の桁に到達するのはずっと先のことになりそうだった。数年で1億円を超えるのは現実的ではない。それからも貯金だけは増えていったが、数字が増える満足感というのは、それまでよりもずっと下がった。次のマイルストーンが遠すぎたからだ。2,000万円超えたときにも桁が上がったときほどの感動はなく、むしろその先までの道のりの長さを感じるだけだった。

ちょうどその頃から仕事が忙しくなり、ただ貯金を増やすためだけにハードワークをしているのに意味が見いだせなくなってきた。増え続けるだけの数字を見ても、自分のQOLがあがることはなかった。金を使ってストレスを解消する機能が自身に備わっていれば良かったのだが、衝動で不要なものを買ったり、旅行に行ったりするのはバカバカしく思えて行動が制御されてしまうようだ。ただの流行り物や、非合理的なこだわりに影響を受けて散財して、精神的高揚が得られる能力を持っていることは大きな強みだと思う。皮肉ではなくね。貯金が増えるのは悪いことではないが、自分の性格では金が増えることのメリットを活かせていないので、意味がない。そう考えていた。

でも、今こうしてのほほんと生きていられるのは結局のところ貯金があるからだ。あの当時の自分に伝えたい。意味もなく増えていっただけの数字は、その後役に立つと。実際になんとか生きながらえているのは貯金のおかげだ。それにある程度の蓄えがあるというのは精神的な支えとなっているように感じる。手元に残り数十万円しかない状況ではこうはしていられないだろう。まあ、そのほうが世間的に正しい道に進むことを強制されて、真人間になれる可能性はあるけれども。

今日もそのおかげで、スーパーで余計な買い物をすることができた。バターを買いたかったのだが、普通のものが品切れなのか特選カルピスバター1,300円しか売られていなかった。2回くらい売り場の前を行き来して悩んだ末、買った。まあ別にいいかと思って。

明日はレーズンパンを焼いて、カルピスバターを塗りたくって食べる。明日の朝が楽しみだ。

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