日記

疲れの原因は生きていることにあるらしい。

生きているだけで疲れる。気がついてしまった。特に何もしていないのにそこそこ疲れる。たいていのことはだるい。風呂に入るのも面倒で誰かに介助してほしいと思うことがある。無職暮らしがはじまって以来ずっとあった謎の疲労感、どこから来ているものなのかはっきりとした答えが見つからずもやっとしていた。

仕事をしていたときには、疲れの主たる要因は、労働にこそあると感じていたが、それがなくなってもやはり疲れるものは疲れる。おそらく、無職の経験がない人には理解し難いだろう。私も人並みに働いていた時期はあるが、もしその時の自分が生きているだけで疲れるなんて聞いたら、決して同意しないことだろう。

しかしながら、実際に体験してみてわかるのだが、最低限の人らしい生活を営むためにはしなければならないことが割とたくさんある。掃除や洗濯、料理、その片付け、買い物などなど。昔からこういった作業は好きではない。最近はそれに輪をかけて抵抗があるように感じる。加齢によって生命力が失われてきているせいで今まで以上に過敏に反応しているのかもしれない。もしくは、今までは仕事というもっと大きな疲れの原因があったので、生活による疲れが見過ごされてきたのかもしれない。それともその両方か、はたまた全く別の要因があるのか。

もとから光り輝く無職生活を描いていたわけではなかったが、もう少し疲労感のない、体が軽くなったような生活を期待していただけにこの発見は残念ではある。いずれにせよこの疲労感と付き合っていかなければならないなら、労働もプラスアルファ程度の負荷なのかもしれないなんて思ったりもした。しかし、実際に働いていたときは、その負担を圧倒的に感じていたわけで、喉元過ぎれば熱さ忘れる的に過去のコンディションを忘れてしまっているだけなのかもしれない。

疲れるなあ。

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