日記

東京で働く東北なまりのキャバクラ嬢の魅力。

昨日もいつもどおり水泳を終えてスーパーに寄った。ちょうどジムのすぐとなりにあるので帰りに立ち寄るのに好都合だ。私がよく通っているスーパーは、野菜や魚はそれほど安いわけではないが、肉に関してはときおり掘り出し物が眠っている。

業務用のブロック肉販売コーナーが設けられていて、豚もも肉ブロックであれば68円/100gというお値打ち価格だ。もちろん大量買い(例えば600グラムの塊肉)をしなければ、それほどのボリュームディスカウントを受けることはできないが、作り置きさえすれば問題ないのでよく利用している。賞味期限が近づいたものに関しては更にそこから3割引、場合によっては半額となり大変都合が良い。

そんな掘り出し物はないか肉コーナーを物色していると、珍しく東北訛り(だと思われる)で話をしている声が聞こえた。声の先にいたのは大学生と思しき若い女性で、同じくらいの年齢の女性と一緒に買物をしていた。わざわざ地方から別の地方の大学に入るなんて物好きな人だ。

それほど大きな声で話していたわけではないが、彼女の声がはっきりと耳に届いたのには理由がある。静岡県に住んでいて東北訛りの方言を聞く機会はほぼ全く無く、その話し方だけで目立ってしまうからだ。仕事のために地元を離れて県外に出ていく東北民はいるだろうが、大して栄えていない静岡にわざわざ来るケースは少ない。

地元を離れて稼いでやろうという野心があるものが向かうのはやはり大都市圏だ。東日本であれば東京、西日本であれば大阪に人が集まる。

久々に若い女性が話す東北弁を聞き、その昔会った東北出身の東京で働くキャバクラ嬢のことを思い出した。私は個人でキャバクラに行ったことはないし、おそらく行くこともないだろうと思うが、過去にはいろんな都合でよく行っていた。そこで彼女に出会った。キャバクラだけではなく、スナックや、場合によってはゲイバーなどにも行った。 店内を見渡しても誰一人として自分と同じくらいの年齢層の人はいなかった夜のお店には、若い割にはかなり行っていたと思うがそのあたりのことについてはまた別の記事で書きたい。

 

今から6年くらい前のことだ。キャバクラ嬢はだいたい似たような顔と髪型をして、同じような露出の高いドレスを着ているので、区別もほとんどつかなければ記憶にも残らないが、その子は印象的だった。

まず席について数分でぎこちない話し方に気がついた。まだこの手の店の経験が浅いのだろうと思ってどれくらい働いているのか聞いてみたら、半年とのことでそれが理由かとはじめは思った。だが、ところどころ言葉のイントネーションがいわゆる標準語から離れていたので、出身を聞いてみると岩手だったか、秋田だったか東北地方のどこかだった。

ああやっぱりそうなんだと言うと、話し方でわかりますかと、うつむきがちに質問を返してきた。話し方でなんとなくわかったと答えた。はにかむとも恥ずかしがるとも取れるような表情で、直そうとしているがまだうまくいかないと返事をしたその姿がなんとも愛おしく感じられた。若いのに一人で東京に出てきて、方言を隠しながら一生懸命働いているなんてよく頑張っている。当時の自分と年齢はそれほど変わらなかったが、十数歳年の離れた子供を見るような感覚だった。

今考えると、相手の隠そうとしていることを暴いたことによる下衆な優越感に火が着いただけなのかもしれない。ただ、その人のバックグラウンドが肉付けされて、その人のことをもっと知ると、急に人間がより人間らしく魅力的に見える。

キャバクラというのは、金を払って、若い女からちやほやされる非日常を楽しむことをコンセプトにしている。笑顔も、男心をくすぐる褒め言葉も、優しい気遣いも、賃金の対価として提供しているだけのドライな世界だ。 働いている女性はたんたんと仕事をこなすロボットのようにしか、私は感じていなかった。そういったことも理解した上で、非日常を楽しめるのが夜遊び上手ということなのだろうが、そんな茶番を楽しめるほどの器が自分にはないようで、いつも退屈に感じていた。

だが、彼女は違って見えた。人間と話をしているように感じた。

頑張っている地方出身の若い女性を応援したくなる男性は私だけではないだろう。だから、これは営業戦略の一環で、敢えて少しばかりの方言らしさを残しているのかもしれない。それでも、もし仮に彼女の見せた仕草が意図的に創造されたものであってもいい。まやかしから表出した真実だと思ったものが、本当は結局まやかしでしかなかったとしてもそれでいい。

キャバクラってそういう場所だろうだから。

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