日記

酒を飲むと不安になる、ストロングゼロ現象の対極へ。

過剰なストレスがかかったり、忘れたいことや考えたくないことがあったりしたときによく酒を飲んでいた。アルコールが入ると頭がぼんやりとしてきて、それまで悩んでいたことは、とかく気にする必要はないように思えてきたりもする。結局翌朝にはもとの精神状態に戻り根本的な解決にはならないわけではあるが、一時的な精神安定のためにアルコールを利用することは、ときに生きていくために必要な技術なのかもしれない。

非常に安価でまずまずのアルコール濃度、もはや低収入者御用達のお酒の代名詞となっているのがストロングゼロだ。Twitterをやっているなら、一度はストロングゼロの効用を表す以下のイラストを見たことがあるだろう。


シラフの状態で抱えている漠然とした不安が、ストロングゼロを飲むことでぼんやりと曖昧な状態となる姿が描かれている。私もこれに似たような経験は過去にある。日々の悩みをアルコールの麻酔作用で一時的に緩和していた。

ところが、無職になりストレスフリーになった今、酒を飲むとなんだか妙に不安を感じるようになった。普段あまり感じたことがない今後の不安や、体の心配、自分と同世代の友人は結婚をして子供がいてみたいなことが浮かんでは消えする。なぜか。

それなりに自分では論理立てて考えて今のライフスタイルを選択したと認識しているが、結局は良いように不安を覆い隠しているだけかもしれない。理性が吹き飛んで本能的な生存欲求が表出したときに今の状況との乖離を感じているのだろうか。生きていることに意味はなく、あと数十年(十数年でも)それなりに生きて、それなりの死に方ができればそれでいいと思っているが、アルコールが入ったときの自分はそれに反対しているような感覚がある。

無職になり老後のような暮らしをしていて、それを後悔しているということでもないが、少しはそんな本能的な声に耳を傾ける必要があるかもしれない。具体的に何をどうこうというのは別段浮かばないが、自分の感情や感覚に正直になるというべきかそんなことを、ここのところ考えている。

最近見た面白いアニメにケムリクサという作品があり、その中で「どっちに行けばいいか迷ったら、自分の足がどっちを向いているか見てみろ」みたいなセリフがあった。現状を正しく把握できていなかったり、判断に必要な情報が手元にないのにもかかわらず直感的な判断を下したりすると、失敗することもあるかもしれないが、十分な前準備をしているのであればあとは感覚に頼ったほうが経験上結果的に正しい選択ができている。

生きていると日々多くの選択をしている。その選択の理由を説明することは大抵の事柄においてできるが、その理由が本当にそうなのかはわからない。むしろ、なにかを選択したその後付でちょうどそれらしい理由を付け加えているだけのほうが個人的には多いような気さえしている。自分の直感的な選択の正しさを補強するためにその理由を探して、自分自身をその理由をもとに選択したのだと納得させる。したがって、過去の選択は実際何をもってそれを選んだのかがわからなくなってしまう。

アルコールは余計な理性やよくわからない理由付けを一時的に解消するための良い薬になるのかもしれない。それが不安を呼び起こすこともあるが、良薬口に苦しということにしよう。

最近酒を飲みたいと思わなくなった理由はストレスフリーなだけではなさそうだと思い書いた。もうひとつ、ストロングゼロはまずい。

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