体力と時間を金に、今度は金を体力と時間にする。
労働とは、体力と時間を金に変換する行為だ。もちろん、得られるものは金だけではない。経験や人脈など、業界や業種によって付随するものは様々だ。支払うもの(失うものと呼んでも良いかもしれない)も時間と体力だけではない場合もある。労働を通して、精神に支障をきたしたり、自由な時間が取れなくなることによって趣味を失ったりすることもあるだろう。
私は幸運なことに、過酷な労働環境に置かれたことがない。残業もあってもせいぜい20時くらいまでで、生活の根幹を揺るがすようなことはなかった。外資系の企業で働いていたときには、瞬間的に恐ろしいほどの負荷がかかっていたこともあったが、それでも私の労働人生は比較的マイルドな方だろう。
そんな穏やかな生活でも、私が労働で失ったものはいくつかある。
一つは、健康だ。もともと寝付きが悪く安定して睡眠が取れないこともあり、慢性的な睡眠不足に陥り常に体の不調を感じていた。決まった時間に会社に行くという行為ただそれだけで、精神肉体ともにダメージを受けていた。睡眠を取れていないだけで、その日いちにちはずっと最悪の気分になる。なんと弱い人間かと思うかもしれないが、一定数私と同じように睡眠に問題を抱えている人もいることだろう。
もう一つは、好奇心だ。会社員をしていた頃は全くといって良いほど新たなものに興味を抱くことがなかった。日々のルーチンを仕事以外の限られた時間でこなしていた。仕事の中でしたくないことは山ほどあるのに、したいことはほぼ無かった。少し手を出すこともあったが、長く続いたものはなかった。それが年をとるということで、当たり前のことかと思っていた。
ところが無職になったこの数ヶ月、やりたいことがどんどん増えてきた。アニメの視聴であったり、水泳であったりたいした事ではないが、新たに始めるものが増えてきた。若干物欲も増してきたような気がする。
このような変化が起きたのは失われていた感情が取り戻されたためだとか、そんなおセンチなことも考えたが、おそらくそうではない。
最大の理由は、睡眠不足による無気力感が解消されたところにあると思う。
次に、長期的な計画を組める安心感が生まれたためだろう。運動やこのブログ、YouTubeの動画などたまに取り組むだけでは成果はでない。いずれも続けることが重要だからだ。限られた時間と体力で、継続的にできずに成果が出ないとわかっていながら、それらにがっつりと取り組む気にはなれない。そういった時間的足かせが外れたことも大きな要因だろう。
会社員時代は、体力と時間をひたらすら金に変換させていた。変換された金は、上記の通り趣味も何もなかったのでただただ貯金となっていった。変換効率が良い労働をしていたこともあり、ある程度の貯蓄となった。
そして今、その金をまた体力と時間に戻している。金は数値的にわかるので把握しやすいが、体力を無理に消費して失った健康を取り戻すのに、一体どれだけの金がかかるのかはわからない。どれだけの金を使えば、言い換えると、労働をせずに自由な時間を回復に充てれば、もとの状態に戻るかは予想しづらい。健康は簡単に数値化できないからだ。つまらない損得勘定で考えるなら、今まで稼いだ金を使って貯金が無くなる前に体調が良くなれば、効率の良い交換ができたということになるのかもしれないが、そんなことはどうでもいい。まずはこの常々抱えている倦怠感や、ひと目で分かる肥満状態の解消をしていく。そして、十分な時間を好きなことに費やしてみたい。
働きながらこの変換をうまく循環させて、心身ともに健全な状態を保てれば無職になる選択をする必要もなかったのだろう。今振り返れば、肝心要の睡眠に難があったところが、現代社会の労働形態に順応できなかった理由なのかもしれない。そういった弱い人を許容するような労働環境もあるだろうが、そういった尖った組織は私のような凡人でなく、秀でた何かを持った人しか採用しない。従って、現実的に選択可能な労働環境でまともに続けていくのは難しかったのかなと思う。
とりあえずしばらくは、金と体力、時間の流れを今までの逆にしよう。更に新たな変化に気がつけるかもしれない。