日記

1年と少しで新卒で入った会社を退職した話。31歳、3回転職、今無職 2/6

2019/03/05

さわり

前回の記事では、私の生い立ちと会社選びの観点について簡単に振り返った。前回記事を読んでいない方はこちらから読んだほうが、内容の理解がしやすいので参照推奨。

さて、タイトルにあるとおり、私は新卒で入社した会社をわずか1年と少しで辞めた。入社時には全くこんなことになるなんて思いもしなかった。その心境がどのようにして変わっていったか振り返る。

入社したては、やはり大変

私が2010年新卒で入社したのは静岡県にある一部上場のメーカーだった。企業説明会では休みの多さと海外売上比率の高いグローバルメーカーであることを売りにしていた。ちょうど自分の探していた会社に近いように思われたので、その会社に入社することに決めた。特に年間休日数140日は他社に比べると破格で、更にそこから有給も比較的自由に使えると聞いていたので、労働意欲の低い自分にはもってこいだと思った。

入社直前は、不安と期待が入り混じっていた。漠然とした社会人生活への不安から、はじめての寮生活の不安、仕事への不安までさまざまだった。その一方で、期待もあった。自分が大学生活、そしてこれまでの人生で学んできたことを会社という組織に入り活用できるのは、素晴らしいことだとも思った。社会からの承認欲求もあれば、力試しをしてみたいという若者らしい前向きな姿勢があった。

とりわけ、私は独学で英語の勉強をして実用レベルの少し前くらいまでは到達していたので、早く実際の現場で使えるのか試してみたいという気持ちがあった。ただ、メーカーの場合いきなり海外業務につくことはまれで、まずは国内業務に何年か従事してそこで製品の勉強や社会人としての基礎経験を積んでからになるだろうとは想像していた。母国語で製品知識や商慣習を身につけることは合理的で、仮に国内業務の配属になってもそれを受け入れる準備はできていた。

そして、入社式で配属先が発表された。配属先はやはり国内営業部門であった。振り返ると奇妙に思えるが何かの儀式のように、会社の偉い人がどこの部署に配属となる!っなんてことをその式の中で宣言して、それをははーと受け入れるような感じだった。もしかしたらすぐに海外部門の配属になり、すぐに力試しができるかもしれないと淡い期待を抱いていたが、それは実現しなかった。

入社後、基本的なマナーの講習を新入社員全員で受けた。名刺の渡し方や、電話の取り方、取り次ぎ方など。ほかにも、社会人としての心構えのような講習も受けた。ほとんど中身のない薄っぺらな講習だったので、詳細は覚えていない。

研修は全部で1週間ほど続いた。入社前は大学に通う必要もほとんどなく、アルバイトも早々に切り上げていたため、ひさびさに1週間のうち5日間も拘束されることに苦痛を感じた。その当時は特に意識もしなかったが、会社の寮生活では朝晩と食事が出されたので、とても助かった。料理をする必要はなかったし、また食事のことを考える必要もなかったのは、大きな支えになっていただろう。

それでも、やはり新生活にはすぐに慣れなかった。毎朝起きるのは辛いし、気を張って生活しているせいか疲れはたまりやすく、週末の休みでも簡単には体力気力ともに回復しなかった。研修の段階でへろへろで、実務が始まると更に悪化していった。

最初の仕事の苦痛

配属先での勤務初日には、主に会社の設備の説明やPCのセットアップ、その他部署内のルール、例えば社用車の申請方法と使用後の報告方法などを学んだ。その日のオフィスは妙に静かで皆黙々と仕事をしているように見えた。ただ、先輩社員の表情は見るからに疲労感たっぷりだった。二年目と六年目の先輩だったと思う。

初日は国内営業部門のグループリーダーが、二年目の先輩に帰りは新人の私を車で送ってやれと指示を出した。ちょうど定時で帰らせて、更に新人をわざわざ車で送ってやれなんてなかなかいいところがあるじゃないかと思った。ところが先輩の車内での会話は悲壮感漂うものだった。

先輩いわく、グループリーダーは「厳しく」、普段は定時で帰れることなどなく、残業はひどいときには22時をすぎることもあり覚悟しておいたほうが良いということだった。あ、これハズレの部署を引いたんだなと思った。表情は疲れ切っていて、これから先が思いやられると感じた。

最初の数日は、製品のカタログを見たり、プレゼン資料を見たりして自主学習のようなものをしていた。いきなり営業に出ろみたいなことはなく安心した。その他に全体的な業務の流れを他の部署で聞いたり、割と模範的な研修だったと思う。しばらくは定時帰りができていたし、それほど問題はなかった。

そろそろなにか仕事は始まらないかと思っている矢先に降ってきたのは、単調な作業だった。製品のシリアル番号をデータベースに登録する業務があったのだが、その業務を過去数年誰もしていなかったので、それを一つ一つすべて入力しろと言われた。これには落胆した。16桁くらいの数字の羅列と販売データを、過去の伝票をもとにすべて入力するらしい。合計で数千件にも及ぶデータの入力を一人でしているときに、一体何をしにこの会社にはいったのだろうと思った。余談ではあるが、このときの私の入力は間違いだらけで結局すべてのデータを他の人が入れ直したという。申し訳なさそうに、その話を聞いたが内心全く興味がなかったし、悪いとも思わなかった。

概して大学生というのは会社に夢を見がちで、この頃の自分はもっとなにか大きな仕事が社会人になったら任せてもらえるのではないかと考えていた。今になって思えば、新入社員にそんなことをさせてもらえるはずもないというのは理解できるが、当時の夢見る青年の私には本当に堪えた。

厳しい上司

入力に必要な作業は自分の席があるオフィスと別のところにあり、黙々と作業をしていた。休憩がてら自分のオフィスに戻ると、眉間にシワを寄せたグループリーダーと六年目の先輩がなにか話していた。雰囲気から察するに、なんらかのトラブルが起きてその対応方法について相談しているようだった。いらついた態度の上司と、萎縮した部下。これは大変そうだと思った。近い内に自分に降りかかる災難だろうと、その六年目の先輩に未来の自分を重ねていた。

トイレに行ったり、メールのチェックを済まして10分ほどたった。しかし、二人はまだ顔を突き合わせていた。不思議に思い、しばらく盗み聞きをしていてわかったのは、上司から部下へ一方的に説教が行われていて、しかも同じ内容が短時間で何度も繰り返されているということだった。

説教好きにも様々なタイプがあると思うが、この上司は同じ内容を繰り返し、自分のいらつきが収まり冷静になるまで続くループ形だった。更に悪いことに、説教を受ける側の先輩は、どうやら説教する側の人間をヒートアップさせるのが得意なようだった。申し訳なさそうに相づちを打って話を聞き、それを彼なりに要約して繰り返して理解していることを示そうとしているようだったが、それがどうやら毎回少しずれているらしく、何度も0からのループが走り出していた。

当初は業務への理解が乏しいため、先輩の返答がずれていたのか、それともただのあげあしどりをしていたずらに説教を長引かせているのか判別がつかなかった。後にわかったのは、そのどちらかではなく両方だった。これは悲劇としか言いようがない。

私がはじめて直接的にその上司と関わりを持ったのは、新人教育レポートだった。毎日の業務内容や学んだ内容を数行にまとめて、週末に上司に提出し、それに対してフィードバックが返ってくるタイプのものだった。

最初の週のレポートを提出した。内容に誤りがあったのか誤字だったのかは覚えていないが、悪い予感は的中し、重箱の隅をつつくような説教が始まった。前例を既に見ていたので、「はい」、「わかりました」、「すみません」を小気味よく打ち込むことによってできるだけ無駄な時間を減らそうと努めたが、それでも長いこと同じ内容が繰り返された。なるほど、これは噂にたがわず「厳しい」。

その上司から徐々に直接的に雑務が割り振られて、こなすたびにループ説教が始まりうんざりとしてきた。私が毎日説教されることはなかったが、毎日毎日のように誰かがつかまり長時間説教を受けていた。ときに声を荒げたり、唸るような声をあげたりと職場の雰囲気はとても悪かった。人が説教を受けているのを聞くと直接的な受け手の何割かのダメージを周囲の人間も受ける。共感というのだろうか。私自身がその説教の受け手になったらと無意識に想像し、日に日に気分は沈んでいった。

その他、会社の承認プロセスや、業務の進め方に非合理性を感じていた。意識高い系の大学生のマインドを持ったまま入社してしまった自分にとっては、見るもの見るものすべて馬鹿らしく写った。

社会人辛いな。入社してわずか数週間でそんなことを思い始めた。

許せない人事との面談

桜の花はとっくに散り、青々と繁った葉がいっぱいに太陽光を浴びていたゴールデンウィーク前、人事との入社一ヶ月面談があった。既に会社には失望していたこともあり、感じていることや抱えている問題について、話すつもりはなかった。今回は、「はい」、「わかりました」、「そうですね」の三点セットを携えてやり過ごす予定だった。

ところが、そうはいかなかった。面談では最近はどうですかとか、困っていることはないですかであったり、よくある内容を質問された。まあなんとかやっているという旨を言葉にしたのだと思う。淡々と質問に答えた。そうして、面談の時間が終わりかけ、ちょっとした雑談のようなものが始まった。

そのときにふいに人事の口からでたとある言葉で、溜まりに溜まった負の感情が爆発仕掛けた。そういえばあなたの配属された部署は厳しくて有名だけど数年間我慢して頑張ってね、と。薄ら笑いを浮かべて話しかけるその表情を見て急激に怒りがこみ上げた。その言葉に対してなんと返したかは覚えていない。その当時の自称理論派の私は、現在抱えている部署の問題に加え、それを放置する人事にも救いがなく、会社に対して失望と怒りを感じていたんだとその現場を振り返り、自制しようとしていた。

ただ、今ならそれが違うとわかる。あれはもっと原始的な怒りだ。間接部門でたいした仕事せずにぬくぬくと働いている人事からへらへらと笑われ、大学生活の意識の高い生活で培われた強大な自尊心が崩壊した。自分ほど優秀な人間に、問題を山程抱えた部署でただの雑務をさせて、それが許されると思うな。一言で表現すると、なめるな、という感情だった思う。

繰り返しになるが、このくらいの新入社員生活はよくある話で、かつ、私自身がなにか特別にできるわけでもないので、このくらいの流れは当然あるだろうと
今なら理解できる。ただ、当時は無理だった。あの業務も環境も表情も言葉もすべて受け入れることができなかった。

ここからできるだけ早く逃げ出したい。その一心で転職サイトに登録した。ほんの一年前には新卒用のサイトを活用したのに、こんなにすぐに転職用も使うことになるとは思わなかった。新卒時に使い慣れていこともあり、登録はすんなりと終わった。そこに登録するだけで、闇の中に光が差し込むような安堵感を得て、少し心が落ち着いた。その日は結局どこにも応募はしなかった。

動き出す転職活動

翌日以降も、積極的に求人検索をすることはなかった。何を基準に選ぶのか、結局入ってみなければわからない部分もあり、ほとんどそれらしい活動を開始しなかった。

ゴールデンウィークがあけて、業務が徐々に忙しくなってきた。残業も聞いていたほどではないものの、毎日19時過ぎくらいまでは働いていた。都心で働く猛烈サラリーマンからすると長時間でも何でもないと感じるかもしれないが、それでも十分大変だった。日々の業務に忙殺されるなか、プライベートの時間もそれほど長く取れず、転職活動はほぼ受け身の状態で、会社からオファーが来たらメッセージを返信する程度だ。

その年の秋に関東圏にあるメーカーからオファーがあり、面接を受けるも不採用だった。もうその頃には、会社にも良くも悪くも慣れてきていて、転職が急務ではなくなっていたので、特に落胆することもなかった。このままでも、別にいいかと思っていた。

そんな矢先、外資系メーカーからオファーが届いた。ちょうど東日本大震災の起きる少し前の、2011年の2月終わり頃だった。調べてみるとかなり大きな企業で、英語もまず間違いなく活用できそうだった。だめもとで応募してみると、するすると選考は進みそのまま内定が決まった。選考は全部で3ヶ月程度要し、ゴールデンウィーク明けには給料や福利厚生の条件が提示されていた。

外資系の印象通り、給料は当時勤めていた企業より遥かに高かった。その金額が全てではなく、もともと逃げだしたいとくすぶっていった感情や、好奇心などが合わさり転職を決めた。

石の上にも三年という言葉や、新卒最低でも三年は働いたほうがいい説など、一般論から言えばするべき選択ではないようにも思えたが、最後は直感にまかせて決めた。きっと転職したほうがうまくいくと思った。

その決断の翌日に、転職先に電話で入社の意向を伝えた。同じくして、新卒で入った会社の上司にも退職の意向を伝えた。かなり緊張したことは覚えている。上司にとってはまさに青天の霹靂のようでかなり驚いているように見えた。

その翌日以降、更にその上司、更にその上の人間と面談をした。ちょうど米国支社の社長を務めていた人が部長となって戻ってきたタイミングだったこともあり、もし続けるなら米国赴任させることもできるがと提案されたが、即座に断った。転職の理由は国内部門に配属されたことではないからだ。

そのときにはまだ、外資系の企業に転職するとは伝えていなかったが、どうやら会社側は英語が生かせない職務につかされて、それが不満で退職をすると考えていたようだった。人事や上司からも転職の理由を聞かれても、いつもうやむやに答えて具体的な話は全くしなかった。話す必要性を感じなかった。

退職日と新たな会社の入社日の交渉の末、7月終盤から8月の終わりまで有給消化でゆったりと過ごした。その時は人生最後のまさに夏休みだとか言っていたが、もっと長い休みが訪れるのは少し先の話になる。

結びに

こうして、新卒で入った会社をあっさりと辞めて転職した。この転職について読者の皆さんはどう思うだろうか。3年は働くべきであったり、次が決まっていれば問題ないだったり様々な意見があると思う。

振り返ってみると、転職の理由はやはり複合的であり、感情的でもある。そんなやや勢い任せの転職がうまく行ったのか、その続きは次の更新にて。5年ぴったりで外資系企業を退職した話。31歳、3回転職、今無職 3/6

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