季節のにおいと、大学入学の思い出。
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嗅覚と思い出。
今日は朝から気温が高かった。いつもなら寒くて布団から出られずにゴロゴロしている時間がしばらくあるが、今日はすんなりと起き上がることができた。日中気温が高いことはこの冬も何度かあったが、朝から温かいのは今日が始めてだったように思う。ようやく春が来る。
外に出ると曇り空で、軽く雨が降っていた。風は普段より一段と強く吹いていたが、どんよりした空の下では春一番という感じはしなかった。
雨の日には雨のにおいがする。地面が濡れてアスファルトからもわっと出てくるにおいなのか、草や土の匂いなのかわからないが、雨の日は雨の日特有の匂いがあると思う。そんな雨の中、生暖かい冬の終わりの気温を感じ、ふと大学入学前のオリエンテーションのことが頭に浮かんだ。
どこの大学にもあるのかわからないが、私の通っていた大学には入学式前に学生が主体となって行われているオリエンテーションがあった。3月の終わりだったのか4月の始まりだったのか覚えていないが、特にやることもなかったので、参加したのを覚えている。
そのオリエンテーションの日も、ちょうど今日と同じような天気だった。気温も少しずつ高くなり、季節の変わり目特有のしとしとした雨が降っていた。きっと同じような雨のにおいもしていたのだと思う。
においから思い出す記憶というのはいつも少しの驚きを与えてくれる。例えば、視覚的にその昔見たことがある景色を見れば懐かしくなるのは、あたりまえのことで別段驚きはない。聴覚的な情報としての音楽も、その曲を聞いていた頃の記憶を呼び起こすことがあるが、すぐにその時代の記憶に結びつく。
ただにおいは少し異なる。臭いを意識することなく、いつの間にかその昔嗅いだことのある記憶を呼び起こして、どうしてそんなことを考えているのか逆算して臭いに結びつくことが多いような気がする。
今日の生暖かい風に運ばれてきた雨のにおいと呼び起こされた記憶はちょうどそんな感じだった。
大学の入学前オリエンテーション。
大学の入学前のオリエンテーションに参加したのは今からもうたぶん12年も前になる。もう12年も経ったのかという思いはあるが、あっという間に過ぎ去ったという感覚はない。大学生活のふわふわした4年間はあっという間に過ぎ去ってしまったように感じたが、社会人の生活はぎゅっと凝縮されていて、学生時代よりもずっと時間の流れが遅く感じた。誇張かもしれないが、社会人生活の1年は大学生活の4倍位長く感じた。だから、12年前というのは事実としても感覚としてもはるか昔のことになる。
オリエンテーションは、朝10時位から始まった(と思う。記憶が曖昧な部分がおおいので、以下の文のほとんどに「思う」というのがついてくると考えてほしい)。集合場所に開始時間の少し前につくとすでに人だかりができていた。みんな高校を卒業したばかりの人達だったので、まだデビューらしいデビューを迎えている人はほとんどいなかった。髪の毛を染めている人がほんの少しだけいて、スタートダッシュの早さに驚いたのを覚えている。
周りはみんな知らない人だったので、まあとにかく誰かと話そうと思って隣の新入生と思しき人に声をかけた。「今日はこれからなにをするんですかねぇ」なんてことを聞いたら、「私はオリエンテーションの運営なんですよ、ははっ」なんて返されて、少しこっ恥ずかしい思いをした。でもすぐその後で、なんでこんなところで運営が馴染んでいるんだと腹立たしく思ったことはなぜかよく覚えている。
その後、いくつかのグループにランダムに新入生が分けられた。たしかそれぞれ5~6人くらいのグループだったと思う。自分のグループは県内出身者が自分を含めて3人県外が2人というまずまずのバランスだった。県外の2人の出身は、長野と岡山だった。その当時はなんとも思わなかったが、親元を離れて一人暮らしで大学生活をするというのはなかなか大変なことだったと思う。よくある初対面の会話、出身地の話や、一人暮らしの料理の話なんかをして盛り上がった。受験勉強の話やこれからの学生生活についての話題など、関心事はほとんど共通だったから話は尽きなかった。
オリエンテーション自体は学内の設備紹介みたいなことをやっただけだと思うが、そのなかで岡山出身の女の子とはとても気があった。気が合うというか初対面なのに、気兼ねなく話せた。一方的に感じただけかはわからないが、そんなふうに感じた。特に方言が自分にとっては特徴的で、話しているだけで新鮮だった。
その日は2時間くらいでオリエンテーションが終わった。当時から今も変わらないが、あまりわざわざ人に連絡先を聞いたりするタイプでもなかったので、そのままそのグループは解散した。また、大学が始まればどこかで話すだろうと思っていた。
入学してから。
入学式が終わると授業が始まる。授業が始まると、同じ学部の人達とほとんど同じ時間を過ごすようになる。同じ時間を過ごすようになると、その人達と仲が良くなる。そうやって友達グループというのは自然に生まれる。オリエンテーションで会った人達は自分と同じ学部にはいなかったので、最初のグループのメンバーとはしばらく顔を合わせることもなかった。
しばらくして、共通科目であの岡山の女の子も同じ授業を受けていることに気がついた。お互い目があって気がついてはいたが、自分は自分の、彼女は彼女のグループの中にいたので、あわせた目はそのままそらして声を掛け合うこともなかった。一度、その機会を失うと、それ以降に話しかけるのはぐっと難しくなるようなきがする。結局、その授業でも話すことはなく、それ以降に学内ですれ違っても知らない人のような素振りで、関わりを持つこともなかった。特別に恋愛感情があったわけではなかったが、なんともむず痒い関係だったようなきがする。
どちらかと言うと交友関係を広げようとしない自分のようなタイプだと、ちょっとしたことで誰と親しくなるかというのは変わるように思う。それを別段後悔しているわけではないが、今日の雨のにおいでそんなことも思い出した。
ただ、顔だけはちっとも思い出すことができない。
その代わりに、三日月のように反った顔をした名前も知らない同じ学部の女の子の顔を思い出した。その反り具合が、ちょうど斧の刃のようだったので、仲間内では「おのさん」と呼んでいた。
もちろん、一度も話すことはなかった。