日記

眠れない夜、きみのせいだよ。

眠れない夜はたまにある。意識しても眠れない夜もあれば、意識して眠らない夜もある。

意識しても眠れないのは単純に不幸でしかない。翌朝早いから眠らねければならないケースだったり、実際は非常に疲れているのにも関わらず、神経の高ぶりで眠れない場合もある。場合によってはカフェインのとりすぎでなんてこともあるかもしれない。

私が中学生の頃にとあるイベントでお茶を、しかも高級なお茶を、10数杯飲んだことがあった。その日はとかく興奮するようなことはなかったのにも関わらず、全く眠れなかった。若かったということもあろうが、直接的に身体に影響を与える飲食の与える影響は小さくない。なお、その3年後に同様の茶を飲むイベントに参加した。その時は高校生だ。隣のじいさんにその眠れなかった話をすると、あそこがおっ勃ってて元気すぎて眠れねぇんじゃねーかと言われた。汚い歯茎だった。それに対してなんて答えたかなんて覚えていないが、適当に笑っていたんだろうと思う。実際におっ勃ってていたたかどうかも覚えていないが、たぶんそんなことはなかっただろう。その時には、ただの気持ちの悪い老人だとしか思わなかった。ただ、今思えば彼は既にその機能を失ってしまっていて、その10代のあふれる若さへのある種の羨ましさからそんなことを言ってしまったんだろうかなんて推測している。おそらく今はそれどころでなく、この世にいないだろう。その後の人生を全うしたことを祈っている。

その一方で意識的に眠らない夜もある。厳密に言えば、当初優勢である非現実が時間とともに現実に押し切られるまで眠るまいとする夜だ。もしかしたら明日は朝が来ないかもしれない。このまま夜で、次の日は現れないのかもしれない。まだこのまま布団の上に居続けられるのかもしれない。そんな非現実を描きながら、その時を待つ夜。しかしながら現実は残酷だ。時計の針はいくらそれを願っても止まることはなく動き続ける。

非現実の中にどっぷり使っている午前1時42分なら、そんな現実だってもしかしたら、ひょっとして今日なら打ち勝てるんじゃないかなんて考えている。まだ頭も覚醒状態だ。夜な夜なちょっとしたハイテンションだ。

2時30分。少し不安になってくる。時間は止まらないが、思ったより進んでいないような気もするし、絶対的に昨日やその前日やそのその前日と同じペースで時を刻んでいるとも限らないんじゃないだろうか。まだ、諦めなければ何か変わるかもしれないと感じる。可能性を信じながらも疑うことを捨てきれない。ちょうど予定到着時刻の2分16秒後にバス停に滑り込んだような心持ちだ。

2時57分。いつもこんなことを思う。明けない夜はないという言葉は、不幸は続かずどこかで好転すると言った意味で使われることが多いが、今の自分にとっては不幸そのものでしかないじゃないか。どうしていつも夜は非情にも明けてしまって次の朝が訪れてしまうのか。本当に明けることは善なのか。答えは明白ではあるが、真面目に反論する自分Bがいつも脳内で挑んでくる。結果はいつも引き分けか、むしろこちらが勝ちそうなくらいだ。それでも、朝は来てしまうんだろうなと徐々に感づいてくる。

3時11分を過ぎると流石に自分自身の第六感を信じることができなくなってくる。やっぱり今日も同じように、明日が来るんだと観念せざるを得なくなってくる。肉体的にも疲労の限界が訪れそうになる。余計な非現実にもすがることができなくなる。しかたないとまぶたを閉じて、無心になった瞬間、非現実は完全に現実に屈して気がつけば携帯アラームの不快な音に起こされることになる。非現実の敗北だ。眠らねければ、体感的な時間感覚から言えば明日からより遠ざかることができる。少しでも距離を置こうとして、結局もっと距離を置きたくなるような現実に直面してしまうのは残念ではあるが、そんな努力がいつか実を結ぶ日が来るかもしれないと思っている今は午後8時15分だ。まだまだ俺が応援している非現実は優勢だ。

ああ、いつも元気に昇ってくる太陽よ。

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