日記

自殺を思いとどまった経験とその後の死生観

若手の自殺、私の自殺観

最近若手の自殺が労災認定されたことがちょっとしたニュースになっていますね。

大手広告代理店電通の新入社員だった高橋まつりさん=当時(24)=が昨年12月に自殺し、三田労働基準監督署が労災認定していたことが7日、分かった。

認定は9月30日付。

遺族や代理人弁護士によると、高橋さんは昨年4月に電通に入社。同6月からダイレクトマーケティング・ビジネス局デジタル・アカウント部(当時)に配属され、インターネット広告を担当していた。

自動車火災保険やFX証券を担当し、本採用となった同10月以降、労使協定で定めた上限の70時間を大幅に超える残業が続いていた。上司からは「君の残業時間の20時間は会社にとって無駄」「目が充血したまま出勤するな」などと叱責されていたという。

高橋さんは同10月以降、自身のツイッターに「本気で死んでしまいたい」「朝起きたくない」などと頻繁に書き込むようになり、同12月25日に住んでいた寮から飛び降りて自殺した。

電通の女性社員を労災認定=入社9カ月、過労で自殺 (時事通信) - Yahoo!ニュース

これだけの文章ではわかりませんが、激務、睡眠不足による体調不良、うつ症状からの自殺ではないかと思います。

彼女に比べれば全く過酷な環境ではありませんでしたが、私も社会人になってから自殺を考えたことがあります。その本気度は人それぞれですが、自殺を考えることは二十数年も生きていれば誰にでもあることかと思います。7~8年も前のことなので記憶は不確かなところもありますが、割りと真剣だったと思います。自殺の最善策を調べて、そのための道具購入の一歩手前までしていました(私の調査によると、苦しさと確実性の観点から最善の自殺方法は首吊りで、それに適したロープの選定をしてAmazonのカートにまで入れました)。

でも、私は自殺をしませんでした。どんなことを考えたから自殺をしなかったのか、そもそもどうして自殺をしようと思ったのかをつらつらと綴りたいと思います。そして最後にその後、そして現在の死生観を書こうと思います。

自殺を考えている人にはなんらかの形で参考になればと思います。

新卒一年目の自殺願望と動機

私は大学卒業後、新卒で地元ではちょっとしたホワイト企業として有名な会社に就職しました。3年以内新卒離職率も低く、年間休日数も多く、労働者にとってはとてもよろしい環境に見えるところでした。しかし、入社後すぐに行われる意味のない全体研修が終わり、配属先に行くと禍々しい空気が室内に漂っているのが感じられました。その正体はすぐに分かることになるのですが、嫌な印象を受けたことは今でも覚えています。

結論から言うと、私の会社は全体としてはブラックではありませんでした。しかし、私の部署は体育会系の上司が仕切っているブラック職場でした。会社としての評価と部署としての評価は必ずしも一致しないものですね。目標達成などは基本的に根性論で根拠のかけらもないものだったと思います。ただ、今思えばそれは別段特殊なことなどではなくて、一般的な日本企業で蔓延している話かと思います。

しかしながら、新卒の私はまだまだ人間的に青く、そのような環境に一人憤りを感じていました。どうして、もっと論理的に物事を進められないのか?どうして、こんなに意味のない承認プロセスが必要なのか?なぜ業務報告の細かい表現の揶揄に耳を傾ける必要があるのか?なぜ、自分がこんなに単純で誰でもできるような面白みのない仕事をしなければならないのか。そんなことを毎日のように考えていました。単純ではあるものの、業務時間はそれなりに長く、といっても20時頃まで、私にはそれでも十分大きなストレスでした。

今思い返せば、私は悪い意味で意識高い系の新入社員でした。学生時代に英語の勉強を一人でしてそれなりのレベルに到達していたこと。また、簿記の勉強も独学でこなし、ビジネスに必要でありそうな(ありそうだと思われる)本を就職活動終了後に読み漁っていたこと。バーバラ・ミントの文章の書き方の本から、野矢茂樹の論理学の本やら、いっちょ前にビジネス誌やらThinkなんてコンサルになりたい人向けの雑誌を読んだりなんかして社会人になることに備えていました。片腹痛しですね。

そんな風にして、どんどん私はただの頭でっかちの人間になっていってしまいました。特に、私が就職活動をしていたのはリーマンショックの影響を大きく受けた年でした。過剰なほどに社会人になることを恐れ、自身の描いたその大きな敵に挑もうと、その準備を必死にしていました。結局、実際の敵は自分が描いていたようなハードな能力を持って対抗するべき相手ではなく、自分自身の役割を理解して、その仕組の中で期待されたことをこなすだけでなんとかなるものでしたが、私はその虚像相手に何度もサンドバックをして、それなりの自信をつけていきました。

その自信がただただ自尊心を高めることにつながり、そのせいもあってか組織に馴染めなかったことは言うまでもありませんが、当時の私は周りのほうが間違っていて自分自身は正しいと思い込んで言いました。その結果、個人の裁量のほぼ全くない新卒一年目に、私は毎日のようにストレスを溜め込んでいました。

ストレスと夜遅くの食事で睡眠時間は徐々に短くなり、更には暴食までするようになり体重もかなり増えていきました。自分自身が少しづつ変わっていくのを感じていました。楽しいと感じることも減っていきました。その逆に嫌だと思うことがどんどん増えていきました。

自分は何のためにこんな面白くない毎日を繰り返さなければならないのか、だったらいっそのこと死んだほうが楽になるのではないだろうかとぼんやり思い始めました。半年くらいそんな状態が続いて真剣に自殺を考え始めました。

自殺を思いとどまった理由

それでも、自殺はするべきでもないとぼんやりと考えていました。やはり、それが自分の遺伝子に書かれていることなのかと思います。

それでも、このままだといつか本当に自殺するのではないか、本当にそれで良いのか悩み、会社の福利厚生の一環としてあったカウンセリングを受けに行きました。ウェブで予約をして、たしか土曜日か日曜日に受診しました。

部屋に入ると女性のカウンセラーが一人座っていました。具体的に何を話したか詳しいことは覚えていませんが、基本的には何かをするべきという指示は一切なく、私に対しての問いかけ中心だったと思います。例えば、どうして自殺をしようと考えているのかといったことです。私は楽しいことがなく嫌なことばかり増えて精神の均衡が保てなくなっているせいだと思うと正直なところを話しました。それに対して、「何をしているときが楽しいと感じたのか、またどうして楽しいことがなくなってしまったのか?」など若干の深掘りがなされたことを記憶しています。

それくらいのことしか話はしませんでした。しかし、人に話すことによって自分が考えていることを整理できたように感じます。そこで人に話すことによって、私自身が感じている問題が精神の均衡だということを理解できた(思い込もうとしただけかもしれませんが)のは大きな収穫でした。

なるほど、ならば嫌なことを少しでも減らして、楽しいことを増やそうと前向きに考えるようになりました。嫌なことについては、もちろん仕事のことであり、それそのものを簡単に除去することは不可能だと思っていました。働くことはいわば義務でそれを放棄することはできないことだと信じていたからです。そこで、現実的に採用可能な代替案として転職活動を真剣にはじめました。ちょうど就職して1年が経とうとしてた頃でした。結局、その成果が実り転職活動に成功するのは半年後でしたが、なにか目標があるときはそれなりに生命力が戻るもので、生きる活力を取り戻していきました。

その一方で、楽しいことを増やそうとする活動もはじめました。もっというと快楽を増やすための活動といえば良いのでしょうか。よく、マズローの欲求5段階説なんて言葉を聞きますね。自己啓発系のセミナーや本なんかにはよく紹介されているあれです。基本的な生理的な欲求を満たした上に、社会的な欲求を満たされたいという願望が生まれて、その高次の目的を達成することによってさらなる満足感を得られるとかいうやつです。

それを参考にしたかどうかは覚えていませんが、まずは社会的な承認欲求なんかよりも、低次の欲求を満たすことを目指しました。人間の三大欲求です。よく運動し、よく食べ、よく眠り、よく遊びみたいなことです。多少無理もしました。それでも、そのようなことをすれば気持ちよくなれる、楽しくなれるということは私を作った設計書、すなわち遺伝子に書かれていることで、とても効果がありました。

そういった活動を経て徐々に自殺願望というのはなくなってきました。端的に言えば、快楽を増やし、不快を減らす活動を行い、その結果好転したというところです。この当時の私は、自分が気持ちよくなることを生きることの目標のようにして貪欲に生活の改善に努めていたように思います。

その後の死生観

転職活動を終えて、私の生活はちょっとした安静期間に入りました。全く不満がないわけではありませんでしたが、次の職場は前よりは良好でした。精神均衡を保つための活動も継続して行っていました。比較的生活も安定していたと思います。

しかしながら、やはり数年もすると厳しい状況に直面することはあるものです。仕事の忙しさは増し、肉体と精神のバランスが崩れてきました。以前のように自殺を考えることは全くありませんでした。理由の1つはあの当時ほど厳しい環境になかったためだと思います。もう1つは自殺とか命とかそのものについて興味を失ってきていたためだと思います。

自殺を考えた当初、それを悩んだのはその自殺という行為が禁じられたものであり、命は貴重であると信じていたからでした。だから、その大事なものを自ら放棄することの異常性にも疑問を感じたわけですが、この頃からそもそも自殺とか命とか深刻に考える問題ではないと思い始めました。自分の命に対しての価値観が変わったためだと思います。

何が明確なきっかけとなって考えが変わったのかはよく覚えていません。おそらく哲学者のニーチェや遺伝学者のドーキンスの影響を受けているのだと思います。影響を受けているというだけで、ニーチェの積極的ニヒリズムにも完全に同意するわけではないですが、命の無価値さについては一定の影響を受けているものだと思います。人の命にそれそのものが持つ意味などないと考えていました。私はただの自我のある個体というだけで、生命活動を行うという点で、そこらの草木や昆虫、動物と何ら変わらないと思っています。

その結果、生きるとか死ぬとか成功するか失敗するか(一般的に言われる人生の成功や失敗)といったことへの興味が急速に薄れていきました。だからといって、目の前にある目標や課題から完全に目をそらし自暴自棄な生活を送っているかと言えばそうでもなく、ほどほどに取り組んでいると思います。必要に応じて努力もします。

ただ、生活自体の空虚感というのは常に抱えているものですし、それが実生活への影響を及ぼしていることも間違いないでしょう。職を失っても、楽観的にゲーム配信をしていられるのは、このようなベースとなる考え方があるからなのかもしれません。ただ、繰り返すようですが、完全に無気力だとか俺には失うものはないからなんでもできるなんて考えているというわけではないです。若干、自分の苦痛に耐える限界値を下げるという調整をしただけです。大げさな話の展開をしましたが、簡潔に言えばそんなところだと思います。

また、このような考えを持っている人は他にもたくさんいると思います。口にする人が少ないだけで、そんな虚無感と戦うのが豊かな現代人の宿命なのかもしれません。貧しければ、そんなことを考える余裕はありませんから。

自殺を考えている人へ

最後に、自殺を考えていてかつ、ぼんやりとでも生きてもいたいかなぁと思う人にメッセージです。

自殺をしようと考えている理由は人それぞれであるということは言うまでもありません。もしかしたら、その本人さえもそれを望む理由を理解できていない場合も多いでしょう。今の私の個人的な考え方としては、自殺も一人の人間の取りうる選択肢の1つであるとは思いますが、もしなんとか思いとどまろうとしている、ないしは何か変えたいと思うのなら以下のようなことを試すのが良いかと思います。

  • 誰かに話す
  • 肉体の疲労を取る

誰かに話すと、自分の考えがすっきりと理解できる事があります。それは別に錯覚であってもいいでしょうし、自分自身の考えを自分の言葉で強制的に上書きさせるような行為でも十分だと思います。案外、問題点が見えてきたりするものだと思います。それが偽物でも信じられればそれでいいです。

次に、肉体(脳)の回復です。精神と肉体はそれぞれ別物だと思いがちですが、これらは当然密接につながっています。精神とここで呼んでいるのはいわば脳活動の結果であり、脳の疲労が蓄積されると精神状態も不安定になります。頭の回転が遅くなるだけでなく、うつ状態のようにマイナス思考になりがちです。脳の回復にとって最も重要なは質の高い睡眠を十分にとることですが、たいてい精神に異常をきたしている場合は睡眠もよくとれません。その原因が仮に仕事で、それを続ける限りどうしても支障をきたすということであれば、さっくり辞めてもいいでしょう。こんなに明確に原因がわかっていて、それから逃げない手はありません。

仕事を辞めたら次の仕事が見つからずに途方に暮れることになるかもしれない。そんな不安を抱えるとやめられないと考える人もいるでしょう。でも、そんなに深刻に考える必要はありません。そうなってしまったらそこで自殺をすればいいからです。もう本当に何もかも嫌になってしまって、一刻も早く死にたいならば、その生活を続けてその延長線上の自殺でもいいでしょう。でも、先を急がないのであればその選択を先延ばしにするのもありかもしれません。先延ばしにして、何か希望が見えるかもしれません。私は焦る必要はないと思います。どうせ明日でもやろうと思えばできることなので別にまぁいいか、くらいに考えればいいのではないでしょうか。

私は自殺という行為に対して、否定も肯定もしない中間的な立場を取っていると思います。ですから、自殺なんてしてはいけないと言うつもりもないし、同様に嫌なら死んでしまえといった極論を言うつもりもありません。そういった意味で、これはあくまで自殺から遠ざかりたいと考えている人へのメッセージです。何らかの形で参考になれば。

なお、前述したとおり、私は元気ですし自殺しようなどと思っていませんの心配せぬよう。最後に視聴者の方へのメッセージでした。

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