Zico39のいろいろ

Just another life

日記

無職の適正、少ない物欲と生産する趣味

Contents

無職とはなにか

有給休暇の消化を含めると会社に出勤をしなくなってから一ヶ月が経過した。新米無職が適性について語るのはやや早計かもしれないが、前々から考えていたことなのでここでまとめてみたい。

無職生活を始める前に、今後のシミュレーションのためにたくさんの無職ブログや退職ブログを読み漁った。あまりに自由すぎてやることがなくなったという人もいれば、趣味にゆっくり打ち込むことができて充実している人もいた。個人投資家として成功している人もいた。無職という看板をブランディングに利用してひと稼ぎしている人もいたりと、インターネット上での活動が盛んな無職の生態は様々だ。

無職なのに活発的というところに違和感を覚える人もいるだろう。たいていの人が持つ無職の一般的な印象というのは、やむを得ない病気や怪我、事故を除けば「怠惰」とか「無気力」といったどちらかというとネガティブなものが多い。

ここで広義の無職という言葉の定義を見てみよう。

デジタル大辞泉の解説
む‐しょく【無職】
定まった職がないこと。

無職とは - コトバンク

定まった職というのは正規雇用を指すので、アルバイトも広義では無職というくくりになるらしい。無という言葉と非正規であっても労働している点で矛盾を感じるが、おそらく職という言葉に安定したという意味が既に付与されているのだろう。

狭義では、完全に被雇用状態にないことを指し、アルバイトやフリーランスと言われる働き方は含まれないのかもしれない。アルバイトに関しては明確に雇用契約が結ばれているなので、無職と分類するべきではないように感じるが、フリーランスに関してはその境界線がかなり曖昧だ。本人が、フリーランスだといえば趣味の領域に近いくらいの少ない収入しか得られない場合でもフリーランスを名乗れる。

似たような言葉に個人事業主というものもあるがこれはどんな定義があるのか。個人事業主の定義は明確だ。開業届を税務署に提出して、それが受理されれば税法上は個人事業主となる。個人事業主になったからと言って、せっせと働かなければならないかといえばそうではない。あくまで税務上のくくりで個人事業主となる。

長々と言葉の定義について書いてしまったが、言わんとするのは無職という言葉一つとっても多様な理解のされ方があり、活発的に動いている無職がいてもその定義からは外れずに無職であるということだ。

伝説の元ニートphaさんの至言

ここで生きる伝説の元ニートphaさんの考えているニートの捉え方について見てみよう。次の引用は、ニートの歩き方という本が出版された際に著者であるphaさんに届いた質問だ。当時流行り言葉であったニートについて話しているが、年齢うんぬんは除いて、本質的には無職という言葉と同じで置き換えることができると思う。

時々ブログのコメントで「ニートじゃないじゃんライターやっているし」などと批判されますが、確かに世間のニート像、いわゆる「親のスネかじり」とは違うように見えます。つまり肩書きと実態の不一致が生じているわけですので、何か別の肩書きを名乗られるのは如何でしょうか?

phaってニートじゃないじゃん - pha著「ニートの歩き方」特設ページ

それに対してこう答えている。

うーん、確かにそうなんですよね。僕が仕事辞めて2年くらいは貯金を食い潰しながら生活していて結構純粋なニートだったと思うんですが、そのうちサイト作ったりとか文章を書いたりとかいろいろやり始めて、そういうので一応今は収入を得て生活しているので厳密なニートの定義からは外れてしまうなあ、と思います。でも労働者か?って言われると、毎日ひたすら惰眠を貪って一日の大半を寝そべって暮らしているし、それもしっくりこないんですよね。「ニート的な毎日だらだらして仕事を求めないような生活」というのを指して、「そんな暮らしでもいいじゃないか」という意味で「ニート」という言葉を使っていたのはあります。

 文章書いてるからライターか、って言われるとそれも違う気がするんですよね。確かに雑誌に文章も書いたりしてるけど、そこでの一ヶ月の収入は2万円くらいなんですよね。ライターとして食えるレベルじゃないし、ライターで食いたいわけでもないし、別にライターというものにアイデンティティを置いてない。今の自分の属性について自分の感覚で言ってみると、15%くらいライターとか物書きで、50%くらいニートで、あとはブログ書いたりとかシェアハウス関係で何かやったりとかそんな感じです。

 まあ言ってみれば100%ニートとか100%社畜とかそういうのも現実にはあんまりないんじゃないでしょうか。本でも書いたことだけど、あんまり仕事をしないフリーランスとたまに働いたりするニートはほとんど変わらない。そうすると肩書きというのは、「本人がどこにアイデンティティを置いているか」というところが重要になってくるんじゃないでしょうか。平日は会社員で週末だけメイドになる女子がいたとして、その人は会社員は仮の姿でメイドが真の姿だと思っていたら、もうその人の肩書きは「メイド」でいいんじゃないか、みたいな。家事をよくやるニートは「ニート」じゃなくて「家事手伝い」なのか、とか、趣味で絵を描いてるニートは「ニート」じゃなくて「画家」や「イラストレーター」なのか、とか、ひたすらゲームをやってるニートは「ニート」じゃなくて「ゲーマー」なのか、とか、そういうことを考えると本当に純粋な100%ニートというのも少ないような気がする。

phaってニートじゃないじゃん - pha著「ニートの歩き方」特設ページ

肩書は、本人がどこにアイデンティティを持っているのかが重要になってくるというのは納得がいく。

肩書とアイディンティティ

私もインターネットのゲーム配信をして収入はあるが、それだけで堂々と飯が食えていますといえるほどのものではないし、必死になってそれを追いかけようとも思っていない。もちろんゲーム感覚で、どうすれば数字が伸びるのかを考えるのは楽しいが、ストリーマーですと名乗るほどの熱意もない。

こうやって文章を書くのも好きだが、ブロガーと名乗るほど書いていなければ実績もなにもないわけで、やはり自分の肩書として一番しっくり来るのは無職ということになる。好きな時間に起きて好きな時間に寝て、腹が減れば食事をする、動物的、原始的な生活を心から愛している。

そして、そんな無職としての生活を楽しむためにはお金がいる。大抵の人が働きたくないのに無職になれないのは、世間体の問題ではなくやはり金だろう。

無職として生活する適正、収入と支出

無職生活の実現を考えた際に、まず大事なのは支出を減らすことだ。ある程度貯金があろうと、収入があろうと収支としてマイナスになり続ければ生活は成り立たない。したがって、支出が少なくるようなタイプ(節約が好きだったり、そもそも物欲があまりななかったり)であれば、適正は高い。

同世代、同年代、同程度の収入を持っている人と比べてみればわかるかもしれない。あるいは、毎年100万円以上の貯金ができてしまうというか、勝手に貯まっていってしまうようであれば素質ありだろう。ここで大事なのは無理してではないことだと思う。ストレスを感じながら欲しいものを我慢してお金をためているタイプではだめだ。どこかでストレスで崩壊してしまう。

もう一つはいかにして金をかけずに暇を潰せるかだ。無職ブログを読んでいて何もやることがなくて嫌になる、金が無いからやりたいことはできないという記事を見たことがある。趣味と呼べる娯楽は金がかかるものから、かからないものまで多種多様だ。

そんな趣味を、ウェブライターなどで活躍しているよっぴーさんは、以下の引用の通り2つに分類している。

僕、趣味って2種類あると思っていて「生産する趣味」と「消費する趣味」っていうのが分類なんですけど、お金を払ってサービス受ける趣味、これは基本消費。
映画を見るのが好きだっていう人、多分いると思うんですけど、映画を見て、この映画おもしろいなーとか、それだけだとこれ「消費する趣味」ですけど、じゃあ映画を見ておもしろかったから、自分なりにその要点をまとめてブログに書くっていう発信があるわけじゃないですか。そうすると「生産する趣味」になる。

「99%の人はスタートを切らない」 ヨッピー氏とはあちゅう氏が語った、はじめの一歩の重要性

消費する趣味は金がかかるものが多い。実際になにかものを消費するのにはコストがかかる。生産にも費用はかかるが、消費の比ではない。なにか自分で作ったり、書いたり、生み出したりする趣味があれば比較的安くすむ。もちろん身の丈に合っていない高価な材料や道具を生産的趣味のために買うのならば、話は違ってくる。ただ、高額な道具が必要なレベルに到達しているのならば、もはやそれで食べていける領域であろうし問題はないだろう。

低コストで満喫できる消費する趣味もあるにはある。図書館を活用すれば費用をかけず読書を満喫できる。また、インターネットサーフィンが趣味なら無限に時間は潰せる。映画やTV番組もストリーミングサイトで も安価で見ることができる。インターネットとそれに係る技術の進歩で、費用をほとんどかけずに楽しめる娯楽は増えているので、それらで十分楽しめるなら適正ありよりではないだろうか。

無職になりたての今思いつく適正はこのあたりだと考えている。これから半年、一年とまだ無職の状態が続いていたら、また読み返してみたい。時間がたつにつれて考えが変わることもあるだろうから。

-日記
-