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日記

タウンページは不滅なのか?技術進歩とともに失われるもの

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まだあるのかよタウンページ。

仕事帰り。アパートの全室の前に雑誌のような物体が置かれているのに気づいた。またしょうもないポストに入り切らないサイズのDMかと思ったが、拾い上げてみるとそれはタウンページだった。今の若手は知らないような絶滅危惧種、あるいは既に絶滅しているものかと思ったのだが、まだ生存している。

インターネットが十分に普及して必要な情報がほぼ網羅されて、かつ参照可能になってから一体どれだけの年月が流れたのだろうか。私が高校生の頃、すなわち十数年前には既にYahooやGoogleがほぼほぼマクロの情報だけではなく、地域密着のミクロの情報も既に収集済みだった。その当時からインターネットにアクセスさえできれば、タウンページの存在など全く不要であるはずだった。流石にその当時既存の地域密着データベースであるタウンページをすぐさま完全に追いやってしまうとは思わなかったが、もうそろそろいいだろう。

こんな旧メディアを参照しているような人が一体どれだけいるのだろうか?もう70歳近いであろう私の両親でさえインターネットを使いこなしている今、一体何のためにあるのか。限界集落に走っているバスや電車のように利害度外視で、情報弱者のためにこの旧データベースは残されているのだろうか?そう思いながらページをペラペラとめくってみた。

やっぱりそうだよねターゲティング広告。

タウンページは限定された地域(例えば市内など)の商業施設やサービスの情報を網羅している。掲載自体にお金がいくら掛かるのかはわからないが、おそらく有料広告と思われる企業紹介が多く存在する。他の電話番号よりもひときわ大きく、場合によってはページぶち抜きで一社の宣伝広告が行われている。業種によって広告の量はまちまちではあるが、圧倒的に出稿の多いカテゴリーが存在する。

やはり医療と介護だ。情報社会の進展から取り残された老人へのターゲット広告なんだろうと思う。その他、水道やトイレのトラブル、タクシーなど年寄りが困りそうな業種に関しては広告だらけだ。高齢化社会ということもあり、未だにこういった旧情報メディアの需要がある。10年、ないしは20年もすれば完全にこのメディアは死ぬんじゃないかと思うが、2018年にまだこれだけの広告が出稿されている。インターネットなんかよりもよっぽど効果が高いだと思う。タウンページなんかは割りと可視化しやすいからなくなれば、その存在が消えたことに気がつくかもしれないが、こうやっていくつもの旧時代のサービスは知らぬ間に消えていったんだろう。

こういう業界で働いている人はどんなことを考えているんだろうか。まあ仕事は仕事、ただお金を稼ぐためにやっていて特に感情もヘッタクソもないという人が大半だと思うが、消え行く業種に携わるというのはなんだか切ない気持ちのような気もする。その業種の終わりを見届ける、おくりびと的な感覚がありそうに思う。特にこの業界の黎明期から全盛期を経て衰退期まで携わっていればなおさらだろう。全く関係のない業界で働いている私でもさえも少しさみしく思うくらいなので、きっと何か感じることがあるだろう。

タウンページの思い出。

そんな消え行くメディアタウンページではあるが、自分自身その昔お世話になったことを思い出した。

遡ること18年位。中学生の時には麻雀が流行っていた(もちろんうわべだけだが)。自分自身は小学生の頃から親父とスーファミの麻雀ゲームをやっていたので、ただのボードゲームという感覚しかなかったが、麻雀というのは当時の中学生にとっては背伸びの象徴のようなものであった。麻雀漫画の「哲也」なんかがちょうど流行っていて、麻雀を打てると言うだけでなんだか大人の階段を一歩昇ったような気分になれた。自分自身はそんなに乗り気ではなかったように思うが、成り行きで自分を含めた友達三人でお金を出し合って本物の牌を買おうということになった。

当時はオンライン麻雀のような手軽なサービスもなかった。今のようにAmazonで麻雀牌を注文することも容易ではなかった。そこで活用したのがタウンページだった。田舎町ということもあり近所の小さな玩具には麻雀牌など販売されておらず、タウンページで調べたところ4つほど離れた街に専門の店があることがわかり、そこに電話をかけた。

家からではなく、電話ボックスからしたのはよく覚えている。親にバレたくなかったからだ。それが、麻雀ということで悪い遊びに足を突っ込んでいると思わせたくないがゆえだったか、それとも何か親に秘密で何かすることにスリルを感じていたのか覚えていないが、自宅から10分ほど離れた公衆電話から麻雀牌屋に問い合わせをした。その店は、その道の専門店だったようで一番安いものでも7,000円?からと言われて絶句したのを覚えている。中学生にとっての7,000円は決して安くない。その後購入検討チームと相談をしてその店以外で購入可能な場所を探そうということになった。

結局、誰かがどこかで半額くらいで変えるところを探し当て、みんなで三等分して麻雀牌を購入した。その後2,3度遊ぶも実際にやってみるとそれほど盛り上がりもなかった。お金を賭けているわけでもなく、漫画のように命を削っているわけでもないので当然といえば当然だろう。しばらくして、購入メンバーの1人が「俺はもう遊ばないから金を返してくれ」と言った。みんなで決めて買ったものなのにそんなのってないよなとか今は思うが、当時はなんだかそれがあたり前のようにしてそれを受け入れた。なんとういうか、きっとこれはうまくいかないんだろうなと言う感じが、みんなで集まってした最初の半荘(ゲーム)で漂っていた。その1人に返金をして、残された牌は自分ともう一人のどちらに行くのか、そんな議論があったのか覚えていないが何故か牌は自分が持って帰ったのを覚えている。2人では遊ぶこともできないので、しばらくずっと押し入れで眠っていたはずだ。

それから高校に進学し、大学生になっても麻雀を実際に打つことはなく、押し入れにしまわれっぱなしになっていた麻雀牌。今はどこにあるのだろうか。

タウンページを活用したちょっとした冒険は、そのメディアが死滅したら体験することがもう出来なくなってしまう。おそらくあの、小さな電話ボックスに入り麻雀牌の店を探して電話をかけるドキドキ感を味わうことはもう今の子供達にはできなくなってしまっただろう。もちろん、今はインターネットでなんでもアクセスできるわけだから、もっと遠くへ、そして膨大な情報にアクセスできるわけであるが、インターネットのない閉じられた世界という背景にあるタウンページは、知らない世界の入り口を垣間見る扉であったのかもしれない。

技術の進歩とともに消え行くもの。

技術の進歩とともに様々な不便が取り払われてきている。欲しい情報はすぐに見つかり、遠くへ出かけることも鉄道や航空車両の発展に伴い短時間で容易に、そして通信技術の進展により遠くにいる人とほぼ無料で簡単に会話をすることもできるようになった。3,40年前と比べても随分と便利になっているのだと思う。技術の進展は歓迎されるべきことであると思うが、それによって失われたものもあると思う。

例えば、数十年前の上京は今とは大きく異なる。簡単に戻ることもできず、連絡手段も限られていた。そのぶん、別れの瞬間に感じる切なさは耐え難いものであっただろう。定期的に交信できる手紙という旧メディアによって得られる満足感、充足感というのはワンタップ送ることができるLineメッセージとは比べ物にならないほど大きいのではないかと思う。もちろん再会の喜びもひとしおであったことであろう。

不便さというものは乗り越えた時に、より一層の達成感があるように思う。限られた時間で会ったり、話したり、時間をともにしたり。そういった不便さがまったくない社会に変貌を遂げたとは思わないが、乗り越えなければならない技術的障壁は随分と低いものになってきているように思える。今度はその逆に、誰とでも簡単に繋がることができるゆえに感じるつながりの弱さの実感や、空虚感が増してきているのではないだろうか。不便さという時に人生を彩るスパイスは少しずつなくなりつつある。

記憶に残る体験ができたのは不便という背景にタウンページがあったからこそであり、今、その旧メディアの影響力は徐々に小さくなってきている。

ゆっくりと衰退し、消えゆくのを見守っていきたい。

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